山本 多喜司

1.環境心理学の台頭
私事から始めて恐縮であるが,私は1971年から72年にかけて米国マサチュセッツ州クラーク大学ハインツ・ウェルナー発達心理学研究所所員として研究する機会に恵まれた。折しも米国においては,環境心理学の研究が澎湃として起こりつつあった。その端緒は1950年代の後半に行われたH.OsmondやR.Sommerらの研究にあるが,1963年には雑誌Environment & Behaviorが発刊され,同年ユタ大学を中心としてEnvironment Design Research Association(EDRA)が設立され,1970年にはH.M.Proshanskey,W.H.Ittelson & L.G.Rivlinの編集で「環境心理学―人間とその物理的セッティング―」が刊行された。また,ニューヨーク市立大学をはじめ各地の大学に環境心理学の大学院訓練プログラムが設けられつつあった。私のボス教授S.Wapner博士は,有機体発達理論(Organismic Developmental Theory)の立場から環境心理学に強い関心を持っており,会った初日から毎日の行動の軌跡を地図に描いて残すように私に指示した。私はいぶかりながらも,毎晩その日の行動を思い出して認知地図を描いた。地図は日を追って点から線になり,網目模様に拡大した。しかし段々と慣れてくると,方向や距離の関係が最初の認知とずいぶん違っていることに気付くこともあった。未知の町に移り住んだ私が,彼の人間―環境関係のかっこうの被験者であったことを知ったのは,後に彼と共同で動物を用いて,新環境における探索行動の拡大過程や,探索行動に及ぼすファミリアー対象物の影響,環境急変と探索行動などの研究を行ったときであった。人間と環境の相互作用から生ずる広範な問題を取り扱う科学としての環境心理学は,これに関連する諸学問分野の研究者を刺激し,心理学者・地理学者・社会学者・建築学者・都市計画家などの共同研究が盛んになってきた。

2.日米環境研究セミナー
1979年8月私がクラーク大学に滞在中,Wapner教授は環境心理学に関する日米セミナーを開こうと提案した。早速Ittelson教授やR.Bechtel氏と電話会議を行い大体の計画案を作って帰国した。早速日本心理学会長の萩野源一教授(日大)や高橋鷹志氏(東大)・浅井正昭氏(日大)・相馬一郎氏(早大)と相談の上,日本学術振興会に補助金を申請し,学振と米国のNational Sscience Foundationから援助が得られることになった。日米両国において,環境心理学に関連する学問分野でなされた研究および研究者の交流を目的に,「人間と環境の相互作用過程に関する日米セミナー」は1980年9月24日から27日までの4日間,日本大学文理学部で開かれた。萩野源一教授とIttelson教授(アリゾナ大)をオーガナイザーとして米国からWapner,Bechtel(EDRA),J.Archea(ジョージア工大),W.Michelson(加州大),S.Howell(M.I.T.),S.Saegart(ニューヨーク市大)の7氏が来日,日本側として望月衛(国際商大)・新谷洋二(東大)・戸沼幸一(早大)・安部北夫(東外大)・高橋鷹志(東大)・浅井正昭(日大)・中村良夫(東工大)・野口薫(千葉大)・相馬一郎(早大)・田中国夫(関学大)・山本多喜司(広島大)の12人の発表者に10数人の討論者も加わり研究発表・討論・都内見学および川崎民家園の見学などが行われた。参加者の専門領域は,実験心理学・社会心理学・環境心理学・発達心理学・社会学・建築学・都市計画学・社会工学などにわたっていた。

「日本における環境心理学研究の動向」と題する萩野教授のオープニングアドレス(編者注)の後,18題の発表は次の3つのセッションに分けて行われた。
(1)さまざまな物理的・社会的環境における人間行動について
(2)人間の住環境におけるデザインについて
(3)環境認知と行動

最終日には,日米両国の環境心理学に関する比較文化的差異についての円卓討論が行われ,Ittelsonの「まとめと将来の展望」と題するクロージングアドレスで閉会した。(1)では,タイムバゼットと人間行動,大都市の人口集中化がもたらす子どもの行動、災害時の人間行動、ニュータウンにおける新住民の人間関係形成の実態,コミュニティ活動における日本人の特徴,日本人の旅行行動,交環境における種々の対象認知とそれに関連する要因の研究などが含まれている。(2)では居住習慣・居住状態と居住デザイン,人手過剰・過少と人間行動,住居と自然環境とのかかわり方における日本の伝統的視点とその活用,景観の知覚と美,日本の住居における空間概念,巨大都市のもつ機能的構造とそれが人間行動に与える問題点及び都市の再構成についての研究などがあった。(3)では,人間環境相互交流理論,環境知覚と行為,学校環境における認知と行動,環境認知の微視発生的発達,環境認知の情動的要因などが発表された。
このセミナーをしての印象は,日本の環境心理学をめぐる諸領域の相互連絡や共理解が不十分であること,環境についての概念が各領域各様に使われていること,環境心理学の範囲があまりにも広範で統一的見解がないこと,比較化的研究の必要性,日本の研究を正しく紹介して外国人に理解させることなどがあった。その後,EDRAの委員長G.T.Mooreは日本にEDRAのグループ結成を呼びかけてきたり,IAPS(International Association for the Study of People and their Physical Surroundings)などから交流の働きかけもある。

3.人間・環境学会(MERA)の成立
日米セミナーに関係した者数名に当時外国出張していた乾正雄氏(東工大)を加えて、東京と広島で数回会合を重ね,人間・環境学会(Man−Environment Research Association)を結成することになった。発会式は1982年8月19日早稲田大学文学部において開催され,望月衛氏の「わが国における環境心理学の固有問題」と題する講演とWapner教授の“Some Trends and Issues in Environment Psychology”と題する講演が行われた。望月氏は日本の自然風土と人間の間に形成されてきた日本の文化を背景にして,日本固有の環境心理学研究の必要性を強調した。Wapner教授は,環境心理学の歴史と最近の傾向を述べた後,人間―環境相互作用の問題,その効率化と適応,実験室的研究とフィールド研究などの問題を論じ環境心理学の将来のあり方について提言した。参加者は約60人で,その専門は心理学・建築学・都市計画学・土木工学・社会学・造園学・政治学・工業デザインなど多岐にわたった。学会の運営についての討議の結果,各領域の研究者の研究を交換するため,年3回程度の講演・研究発表を行うことになり,代表世話人として吉武泰水教授と萩野源一教授が推され,事務局を早稲田大学文学部心理学教室におき,相馬一郎氏が事務局長になることが承認された。
第2回のMERAの会合は1982年12月10日新建築会館で開催され,九州芸工大学長吉武泰水氏の「夢に現れた環境」と題する講演が行われた。同氏の11年間にわたる700の夢に現れた環境を極めて客観的に分析されたもので心理学者の夢の分析とは異なる興味深いものであった。第3回は1983年3月19日,日本大学会館において埼玉大学窪田陽一氏の「道路景観の認知構造」,国立教育研究所の佐古順彦氏の「認知地図についての」研究発表が行われた。
日本のMERAの活動がEDRAのDesign Research Newsに紹介されるに及んで,外国からの連絡や研究家の来訪も次第に多くなりつつある。環境心理学をめぐる各領域の研究者の来訪も次第に多くなりつつある。環境心理学をめぐる各領域の研究者の相互理解と共同研究が進み,日本の環境心理学が欧米諸国の環境心理学と連携して発展することを望むや切なるものがある。